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カーリィ・ナイト

(Sat)

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 「自分が不幸だと思えるうちは、まだ幸せなのよ」


 だって、それは幸せを知っているということでしょう? 彼女はそう続けると、つまらなさそうに僕に目を向けた。灰色の目は僕に意見を求めているようには見えなかったので、僕は黙って続きを待つ。


 「おいしいものを食べたことがあるから、まずいと思うでしょう? それと同じ」
 「だから、愛を知らない君は、愛されない者の気持ちはわからないということか」
 「そう。相変わらず察しがいいのね。そういうところはとてもよろしい」
 「恐縮です」


 格好をつける彼女に半ばふざけて敬礼をすると、彼女は少し笑った。彼女は僕が敬礼をしてみせると喜ぶ。なんでも、人間らしく馬鹿げているところがいいらしい。僕にはよくわからないが、彼女のまるで人間離れした物言いには慣れているので、どうとも思わない。


 彼女は容姿も、考え方も、物言いも、すべてが人間離れしている。全体的に色素が薄くて、ことに灰色の目と同じ色の髪が一番人間離れしている。いつでも面白くなさそうに細められた目は冷ややかで、見つめられると背中がぞくりとすらする。現に、彼女は裸を気にするでもなく枕を抱きしめてベッドにうつぶせているというのに、とても人間とは思えない空気を持っているのだった。堕落した人間の鑑のような格好をしておきながら、微塵もそれを感させず、むしろ高尚な絵画の一部とも思える。

 僕はそっと手を伸ばし、その髪を撫でた。癖毛に指を絡ませて梳く。以前は肩甲骨まであった髪も、今は短く切られている。


 「君、髪、伸びたな」
 「そうかしら。じゃあ切ってもらわなくちゃ」
 「もう伸ばさないのかい?」
 「愚問ね。あなたのそういうところは実によろしくない」
 「申し訳ない」


 彼女が髪をばっさりと切ったとき、僕はショートカットの方が好きだと言った。そのことを憶えているのだろう。彼女にしては珍しく照れていたから、喜んでくれたのかもしれない。


 「案外単純なんだな、君は」
 「そう。そんなものよ。あなただってそうでしょう、よくわたしに敬礼してくれるじゃない」
 「君が喜ぶのなら何でもするさ。それが愛というものだろう」
 「そういうものかしら。なんだか妙ね」


 僕は返事の代わりに、惜しげもなく晒された彼女の背中にキスをした。あまりにも薄くて病的な背中は青白く、今にもばらばらにほどけてしまいそうだった。恐る恐る撫でると、冷えた僕の手には温かくて、彼女が生きているのだと気づく。人間ではないように思える彼女も、生きて動いている。そのこと自体が、微妙なバランスの上に成り立つ華奢な芸術品のようだ。


 「そんなに怖がらなくてもいいのに。わたしを飴細工か何かだとでも思っているの?」
 「それに近いな、少なくとも僕にとっては」
 「そう」


 そう、ともう一度呟いて、彼女はしばらく黙り込んだ。僕はその間、彼女の背に置いた手を見やっては、すべすべだなあ、なんてぼんやりと思っていた。彼女の背中にはきっと、生まれてこのかたニキビなんてできたことがないにちがいない。


 「ところで話は戻るけど、あなたは幸せだと思う?」
 「僕?」


 やっぱり冷たい目で僕を見つめて、彼女はまた切り出した。


 「そうだな、幸せだと思う。確かに思い通りにいかないことも多々あるけれど、それでもザイン、君に触れても怒られないうちは幸せだよ」
 「とても簡単に不幸のどん底に叩き込めそうな答えね」
 「やめてくれ」
 「冗談よ」


 味気なくごまかすと、彼女は面倒くさそうに目を閉じた。はっきりしないということは多分、彼女のある種のアイデンティティーでもあるので、気にはならない。


 「君の方はどうなんだ?」
 「そうね、」

 彼女は目を開けて僕を見ると、面白そうに口の端を上げた。


 「残念ながら、どちらかと言えば不幸かしら。と、言うより、これからそうなるのかもしれない」


 あなたを知ってしまったからね、と付け足すと、彼女はまた目を閉じてしまった。僕はと言えば幸せを知った気分になって、やっぱり彼女の癖毛に指を絡めていた。











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